度肝を抜かれた作品
ネタバレあり
00年代の作品で最も人気を誇るといっても過言ではない本作。キャッチコピーが「覚悟せよ 肝を抜かれる」でしたね、何だか悔しいですが実際度肝を抜かれてしまいました(笑)
たまに前作を未見で今作を鑑賞する人がチラホラいるみたいですが何だかもったないことしてるなあと思わざるを得ません。
ところで作中で有名な誤訳があるのをご存知ですか?
ジョーカーとハービーが病室で話している場面にてジョーカーが「俺は混沌の配達員。混沌の本質がわかるか?それは恐怖だ。」と言うんですが正しくは恐怖ではなく公平です。fairとfearを聞き間違てしまったんでしょう。このミス、混沌の本質が恐怖でもなんとなくそれっぽくみえてしまうのが非常に厄介ですね。公平だからこそハービーがコイントスをすることに繋がるわけですが。
ちなみにDVDやBlu-rayでは字幕、吹き替えともにこの誤訳で収録されているみたいですがNetflixはあくまで字幕のみですがちゃんと修正されています、流石ですね。
レイチェル役が変更になったのは非常に残念。マギー・ギレンホールよりケイティ・ホームズのほうが可愛いかったからなあ。まあ妊娠ならしょうがないですけどね。
さて、これほどまでに正義と悪について真っ向からぶつかった作品はそうないでしょう。
このテーマを語る上で欠かせないのがあの3人です。
まず人間を混沌の渦に巻き込むジョーカーについて。あくまで個人的な考えですが人間の怒りや憎しみを具現化した存在だと思います。口に大きな傷を負っていますが彼が語る原因はバラバラです。それはつまり口の傷は人の心が悪に変わる心の傷を意味し、その原因は人それぞれだということを意味しているのではないでしょうか。
一方、法を破ってでも悪を捌く闇の騎士ことバットマンは自分の行動によって新たな悪が生まれることにジレンマを抱えるようになります。アメリカで大ヒットしたのはもちろん原作が人気という面もありますがやはり彼の一見矛盾したようにみえる正義が対テロ戦争を彷彿させたからでしょう。自分は必要悪という存在があまり好きではありませんが、ゴッサム・シティの平和のために汚名を被る彼には関しては認めざるを得ません。
そして法に則って悪を捌く光の騎士ことハービーのような人間は1番の理想形のように見えますができることは限られていますし場合によっては簡単に悪に落ちてしまうということがジョーカーの手によって証明されてしまいました。この展開は僕も本当に心苦しかったです。
しかし本作には救いがあります。それはフェリーで誰もスイッチを押さなかったことです。そして起爆装置を投げたのが一般人ではなく悪とされる囚人側なのが非常に感動的。ハービーが善から悪になったように悪から善へ変わる人間もいるということが監督なりの願いなんでしょう。